職人の背中を見て学んだ鈑金の世界で40余年
楽しくて仕方ない、この仕事への感謝を胸に
楽しくて仕方ない、この仕事への感謝を胸に
祖父が鈑金屋として起業し、昭和37年に父が会社を設立。大阪万博ではダイハツのパビリオン製作にも携わりました。
業種でいうと三代目になる私は、大学卒業後の製薬会社勤務を経て、家業を継ぎ、現場で学びながらがむしゃらに前進してきました。
業種でいうと三代目になる私は、大学卒業後の製薬会社勤務を経て、家業を継ぎ、現場で学びながらがむしゃらに前進してきました。
ちいさな部品ひとつひとつにヒロミツブランドを貫いてくれる社員と、辛抱も喜びも共有しながら、戦略を練り上げ実現していく今なお日々の仕事に夢中、楽しくて仕方ありません。
今後は、海外展開も視野に入れながら、立ちどまることなく、「ヒロミツ製作所」の未来図を描いていきたいと思います。
「困っている人がいたら、全力をかけて助ける」
先代から続く“ヒロミツイズム”という精神
先代から続く“ヒロミツイズム”という精神
時代の要望に合わせて柔軟に変えていく、技術や方法論。その一方で守るべきは、「困っている人がいたら、全力で助ける」という先代である父から受け継いだ“ヒロミツイズム”です。
人と人の信頼関係なくして、企業間の良好な付き合いは成り立ちません。
人と人の信頼関係なくして、企業間の良好な付き合いは成り立ちません。
予算が少なくて困っている、納期までの時間がなくて困っている、など信頼しているクライアントが窮地に立たされた時、
ヒロミツのスタッフは、120%の力を出してゴールをめざします。
全力でやる仕事は楽しい、スタッフの明るい表情がそれを物語ります。
どうぞ難問でお困りの時こそ、「ヒロミツ製作所」にお声がけください。
全力でやる仕事は楽しい、スタッフの明るい表情がそれを物語ります。
どうぞ難問でお困りの時こそ、「ヒロミツ製作所」にお声がけください。